FC2ブログ

また一日穏やかならばそれで良い

日々平穏、お気楽極楽な生活を送る四十路男子。 そんな私、クマ社員が振り回されてる雑多な趣味や出来事、数少ない友人達をお気楽に日記にしたためてみたいと思っています。

幸せの黄色い…






(; ̄ェ ̄)



今シーズンはもういいか…





そんな夏休み以降の展開でした。
もう毎レース毎レース、セバスチャン・ベッテル選手が…スクーデリア・フェラーリがヘタなコントを見せるかの様に自滅を繰り返す…



ミハエル・シューマッハ選手の黄金期が遥か昔の伝説かお伽話にしか思えない内容。
当時は、フランスやイギリスからレースのプロフェッショナルを集めてなりふり構わず勝ちに行っていた印象。この10年、チームの中枢を再度イタリア勢で固めて気が付いたら古き悪しき跳ね馬に逆戻りしておりました。
ポイント上チャンピオンはまだ決定しておりませんが、これでセバスチャン・ベッテル選手の逆転優勝とかあったらルイス・ハミルトン選手とメルセデスチームに申し訳ない感じになってしまいます。
なので、後はジリジリするチャピオン争いよりも毎戦主役が変わる様な痺れるレースを期待しております!



にわかティフォシの敗北宣言はこれくらいにして、楽しい鈴鹿の思い出でも…


スマホの写真残ってないんだ…
(ーー;)



なんで
日本グランプリ前に発売されたコチラから

GP Car Story Special Edition SUZUKA
愛読誌、恒例の秋の特別編集版
今年、30回目の記念大会だった鈴鹿での日本グランプリを振り返る一冊。
1987年から連続開催されている日本グランプリ。
クマも'89年以降毎年現地かTVで観戦しております。
秋開催という事もあり、何度となくシーズンのクライマックスが展開されて来ました。
この特別編集版の制作にあたっては読者から「思い出の日本グランプリ」の投票募集があり、クマもちゃっかり投票しておりました。


そんなクマが選んだ「思い出の日本グランプリ 3選」は
初めて鈴鹿を訪れた1989年

「推しのドライバー(ミカ・ハッキネン選手)」が目の前でタイトルを決めてくれた1998年
そして
・我らが佐藤琢磨選手がデビューシーズンの鈴鹿で奇跡の走りを見せてくれた2002年でした。


1987年に中嶋悟さんがデビューして始まった日本人F1レギュラードライバーの系譜は2000年に高木虎之介さんがF1を離れた事で途絶えてしまいます。ホンダが復帰していたものの「日本人ドライバー不在」が2シーズンも続く異常事態(小林可夢偉選手がF1を離れ日本人ドライバー不在が早4シーズン目の現状からすればまだまだ良い方なんですけどね)。
そんな中、ホンダのバックアップを受けてイギリスF3で頭角を現して来たのが佐藤琢磨選手。
2001年に数々のの名ドライバーがチャレンジしてきた各国F3のオールスター戦であるマカオGPを制してホンダエンジンで走っていたジョーダンのシートを射止めます。
そんな佐藤琢磨選手がデビューシーズンに乗り込んだのが

GP Car Storys Vol.25 Jordan EJ12
GP Car Storyシリーズでは2回目のジョーダン。
ホンダエンジンと久々の日本人ドライバー!
しかも、それまでのメーカーやスポンサーのバックアップの元日本国内で実績を上げてのステップアップとは違い現役のイギリスF3チャンピオンにしてマカオウィナーと言う今までに無い可能性を秘めた日本人F1ドライバーの誕生に日本のF1ファンの期待を再度昂らせたマシン。
ところが、当時のジョーダンはタバコ関連の広告収入の激減期で大幅なリストラを断行しながらのシーズンイン。琢磨選手の経験不足もあって開発すらままならない開幕を迎えシーズン終盤まで苦戦を強いられます。
そんな中迎えた最終戦、母国日本GP。
ホンダとジョーダンのエンジン供給契約終了を受け、翌シーズンのチーム残留が難しい状況にもめげる事なく鈴鹿のコースを走り抜ける琢磨選手を
全力で応援していた事を今でも強烈に覚えています。



そんな懐かしい記憶を掘り返していたら急に思い出して住処を捜索。

コチラを発掘しました。
2002年の日本GPを「佐藤琢磨応援シート」なる特別指定席で観戦しておりました。その時に配布されたブルゾン。
しっかり着込んで応援ておりました。



我ながらミーハーな観戦をしておりました。
あの日、西日を受けて力走する黄色いジョーダンのマシンに全力で声援を送り、そのジョーダンEJ12を駆る佐藤琢磨選手の可能性に魅了されて…
良い思い出です。
(*´ω`*)

スポンサーサイト
フォーミュラ1 | コメント:0 | トラックバック:0 |
| HOME |NEXT