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また一日穏やかならばそれで良い

日々平穏、お気楽極楽な生活を送る四十路男子。 そんな私、クマ社員が振り回されてる雑多な趣味や出来事、数少ない友人達をお気楽に日記にしたためてみたいと思っています。

そんな平成の振り返り方

例の如く…

F1速報 スペインGP
スペインGPにおいてもフェラーリが一切ピリッとする事なくメルセデスに完敗を喫しておりました
( ̄▽ ̄;)


もうデフォなんで、応援の言葉をひり出しても我ながら痛々しいのでグダグダ言わずに黙って応援しようと心に誓ったライト層なティフォシグマだったりします。


そんな現状とは裏腹に愛読誌が特集したのはコチラ

GP Car Story Vol.27 Ferrari640
1989年、ターボエンジンが規制され自然吸気エンジンへの回帰元年に名門跳ね馬がGPシーンに打ち出した革新要素てんこ盛りな一台です。
特に語られる事が多いのは、クラッチ操作を行わずにステアリングの裏にあるスイッチによってステアリングから手を離す事なくシフトチェンジが行えるセミオートマチックトランスミッション。
それまで、加速中やコーナーを曲がる時にエンジンの回転数を合わせてクラッチを切ってハンドルから片手を離してコクピットの脇にあるシフトノブを操作してギアチェンジを行なっていました。
セミオートマチックは最近の乗用車では当たり前になったオートマチックトランスミッションの様に制御されたエンジンのギヤチェンジだけをドライバーに操作させると言う技術で現代のレース車両には標準装備となっています。


ところが、以後のF1の技術を書き換えるこの新技術は革新的な操作性だけでは無く車体デザインの要求も多分にあって開発されたものだったそうです。
この時期、ターボ禁止によって失われるパワーの替わりに車体を流れる空気の力で性能向上を図るべくF1の車体デザインは色々な所が絞り込まれて行きます。特にコクピット周りはドライバーが乗り込めるギリギリまで絞られてしまいます。車体デザイナーによっては自チームのドライバーの体格をキッチリ採寸してミリ単位のデザインを行ったそうです。そんな状況でデザイン上邪魔だったのはドライバーの右脇にあるシフトノブ。乗用車のシフトレバーに比べれば遥かに短く取り回しもコンパクトでしたが、前後左右に操作する必要があるためどうしても場所を取ってしまいデザインによってはスペースを確保するためにマシンのコクピット外側にコブの様な膨らみを設けているものが少なくありませんでした。
フェラーリはこの問題を解決する事も念頭に置いてセミオートマチックトランスミッションを開発したと言われています。




ただ、革新的過ぎて信頼性に欠け故障が多発してしまったのでチャンピオンまで上り詰める事は出来ませんでした。
フェラーリがそんなリスクを冒したのも

GP Car Story Vol.21 McLaren MP4/5
前年度無敵を誇ったマクラーレンホンダに対抗する為。
ウィリアムズで「勝てる」ドライバーとして覚醒したナイジェル・マンセル選手と若手筆頭だったゲルハルト・ベルガー選手を擁し挑んだ’89年シーズンは開幕戦を含め3勝しマクラーレンホンダに脅威を感じさせる事には成功しました。


そして、同一チームでライバルと対する事から跳ね馬を駆ってマクラーレンとセナを破る事にしたアラン・プロスト選手が翌年移籍する事によってこの対決はピークを迎えます。
そんな平成元年に繰り広げられたマクラーレン・ホンダ対フェラーリ。
後々、自身の伝統にからパワーは出るけど大きく重いV12エンジンに拘った両チームはV10というパワーとサイズのバランスに優れたエンジンを使うルノーに敗れる事になります。
エンジンに関して同じ様な哲学を持つ両チームのバトルが激し過ぎた為にルノーの飛躍に対処が遅れたのだとしたら、平成元年となるこのシーズンの持つ意味がまた一つ深くなっていく様な気がします。


ま、大層な事言ってますけど平成元年なんて言えば
中継の画面に中嶋悟選手が映る度にギャーギャー騒いでただけのミーハーグマだったんですけどね
( ̄▽ ̄;)

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既に四半世紀…

めでたく新元号を迎えました、更に世間様は10日間の大型連休!

沢山の人がお祝いモードで過ごしてらっしゃる事と思います。
クマはと言えば今年は飛び石連休
「仕事して仕事して休み~!仕事して休み~!」
な過ごした方しております。


そんな中迎えた5月1日。
ちょっと平成の事でもモゴモゴと日記に認めてみようかなとか思っていたら、F1公式からこんな動画がアップされておりました。

1994年5月1日 シーズン第3戦サンマリノグランプリ決勝レース中の事故でアイルトン・セナ選手が亡くなって25年が経ちました。


昭和から平成へ移り変わる1980年代の終わり、国内自動車メーカーのホンダが日本では余り知られていなかったF1グランプリにおいてエンジンを提供したチームが勝利を挙げて日本のモータースポーツファンの間で話題となりました。
まだまだ日本ではマイナースポーツだった頃のF1。ホンダは次なる一手としてエンジンの2チーム供給を決定。2チーム目のパートナーとしてチームロータスを選び、日本人ドライバー中嶋悟選手を送り込むと同時に当時新進気鋭の若手ドライバーだったアイルトン・セナ選手を陣営に加える事となりました。


ヨーロッパ文化が強いF1に挑戦するホンダと強豪ドライバーに果敢に挑むセナが共に戦う姿はモータースポーツファンを惹きつけ、2年目に両者とマクラーレンがタッグを組み常勝チームを創り上げると一般の人にも熱狂が広がりブームになります。
今では信じられないと思いますけど、それこそ大人から子供まで性別も問わずセナファンがF1グッズを身につけ応援し、独占中継を行っていたフジテレビ以外のテレビ局でもF1のニュースが流れる…そんなバブリーな熱狂時代があったんです。
そのブームの中心としてマールボロカラーのマシンと赤いレーシングスーツにカナリアカラーのヘルメットはアイコンとしてバブル時代のF1とセットで君臨していました。
その後、中嶋選手の引退、ホンダの活動休止を経て緩やかに熱が冷めていったF1ブームは25年前のこの日唐突に終わりを告げてしまいます。


今の若いF1ファンの方からしたら、そもそもF1の情報がメインに扱われている媒体が少なくて2~3戦のレース結果をまとめて知ったりするのは当たり前な時代やワンレグ&ボディコン(何のことかわからないだろな…)の一見モータースポーツと縁遠そうなお姉さん達ですらアイルトン・セナを話題を楽しそうに話してた時代があったなんて理解して貰えないだろうな…とか思ってしまいます。

平成元年・1989年からF1を本格的に観戦しだしたクマ。以後平成をF1と共に過ごして来たことになります。
あのブームがあったから今でも応援し続ける事が出来ているのかな?と思うとあの狂乱にも感謝してしまいす。
そしてあの日から25年も時が過ぎていた事にも驚きながら令和の始まりを迎えた…


そんな与太話でございました。

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祝☀︎2019シーズン開幕!


F1速報 オーストラリアGP号
今年も始まっておりました。


バタバタしながらも昨年末からしっかり各チームの今シーズンへの準備はチェックしておりました。
まぁ、1番応援しているセバスチャン・ベッテル選手所属のチームの昨シーズン終盤のヘタレぶりから多くを期待してはいなかったのでテンションが中々上がらなかったのは事実なんですけどね。
^^;


そんな2019シーズン、やはり注目はトップチームであるレッドブル・レーシングとタッグを組む事になったホンダF1の活躍なのではないでしょうか?


そんな期待に応える様なレッドブルのマックス・フェルスタッペン選手の3位快走は、ここ数年の体たらくを思えば溜飲の下がる思いです。


つっても、開幕戦の活躍だけで今シーズンの戦闘力は測れるわけでもありませんし…
それだけで諸手を挙げて応援する気もさらさら無い。
そんな相変わらず面倒臭いファン心理で今シーズンも楽しんで行こうと思います。
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幸せの黄色い…






(; ̄ェ ̄)



今シーズンはもういいか…





そんな夏休み以降の展開でした。
もう毎レース毎レース、セバスチャン・ベッテル選手が…スクーデリア・フェラーリがヘタなコントを見せるかの様に自滅を繰り返す…



ミハエル・シューマッハ選手の黄金期が遥か昔の伝説かお伽話にしか思えない内容。
当時は、フランスやイギリスからレースのプロフェッショナルを集めてなりふり構わず勝ちに行っていた印象。この10年、チームの中枢を再度イタリア勢で固めて気が付いたら古き悪しき跳ね馬に逆戻りしておりました。
ポイント上チャンピオンはまだ決定しておりませんが、これでセバスチャン・ベッテル選手の逆転優勝とかあったらルイス・ハミルトン選手とメルセデスチームに申し訳ない感じになってしまいます。
なので、後はジリジリするチャピオン争いよりも毎戦主役が変わる様な痺れるレースを期待しております!



にわかティフォシの敗北宣言はこれくらいにして、楽しい鈴鹿の思い出でも…


スマホの写真残ってないんだ…
(ーー;)



なんで
日本グランプリ前に発売されたコチラから

GP Car Story Special Edition SUZUKA
愛読誌、恒例の秋の特別編集版
今年、30回目の記念大会だった鈴鹿での日本グランプリを振り返る一冊。
1987年から連続開催されている日本グランプリ。
クマも'89年以降毎年現地かTVで観戦しております。
秋開催という事もあり、何度となくシーズンのクライマックスが展開されて来ました。
この特別編集版の制作にあたっては読者から「思い出の日本グランプリ」の投票募集があり、クマもちゃっかり投票しておりました。


そんなクマが選んだ「思い出の日本グランプリ 3選」は
初めて鈴鹿を訪れた1989年

「推しのドライバー(ミカ・ハッキネン選手)」が目の前でタイトルを決めてくれた1998年
そして
・我らが佐藤琢磨選手がデビューシーズンの鈴鹿で奇跡の走りを見せてくれた2002年でした。


1987年に中嶋悟さんがデビューして始まった日本人F1レギュラードライバーの系譜は2000年に高木虎之介さんがF1を離れた事で途絶えてしまいます。ホンダが復帰していたものの「日本人ドライバー不在」が2シーズンも続く異常事態(小林可夢偉選手がF1を離れ日本人ドライバー不在が早4シーズン目の現状からすればまだまだ良い方なんですけどね)。
そんな中、ホンダのバックアップを受けてイギリスF3で頭角を現して来たのが佐藤琢磨選手。
2001年に数々のの名ドライバーがチャレンジしてきた各国F3のオールスター戦であるマカオGPを制してホンダエンジンで走っていたジョーダンのシートを射止めます。
そんな佐藤琢磨選手がデビューシーズンに乗り込んだのが

GP Car Storys Vol.25 Jordan EJ12
GP Car Storyシリーズでは2回目のジョーダン。
ホンダエンジンと久々の日本人ドライバー!
しかも、それまでのメーカーやスポンサーのバックアップの元日本国内で実績を上げてのステップアップとは違い現役のイギリスF3チャンピオンにしてマカオウィナーと言う今までに無い可能性を秘めた日本人F1ドライバーの誕生に日本のF1ファンの期待を再度昂らせたマシン。
ところが、当時のジョーダンはタバコ関連の広告収入の激減期で大幅なリストラを断行しながらのシーズンイン。琢磨選手の経験不足もあって開発すらままならない開幕を迎えシーズン終盤まで苦戦を強いられます。
そんな中迎えた最終戦、母国日本GP。
ホンダとジョーダンのエンジン供給契約終了を受け、翌シーズンのチーム残留が難しい状況にもめげる事なく鈴鹿のコースを走り抜ける琢磨選手を
全力で応援していた事を今でも強烈に覚えています。



そんな懐かしい記憶を掘り返していたら急に思い出して住処を捜索。

コチラを発掘しました。
2002年の日本GPを「佐藤琢磨応援シート」なる特別指定席で観戦しておりました。その時に配布されたブルゾン。
しっかり着込んで応援ておりました。



我ながらミーハーな観戦をしておりました。
あの日、西日を受けて力走する黄色いジョーダンのマシンに全力で声援を送り、そのジョーダンEJ12を駆る佐藤琢磨選手の可能性に魅了されて…
良い思い出です。
(*´ω`*)

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4年ぶりに立つ丘の上には…

実は…




F1観戦して来ました~!
(≧∀≦)




土曜、日曜と三重県は鈴鹿サーキットまで日本グランプリを観戦しに行って参りました。
就活で忙しい中、迷いに迷ってギリギリに思い立ちました。
観戦券の入手はなんと木曜日!



就活も忙しくなったしそろそろ口座の残高も気になり出したし…
とか迷ってましたけど



最大の理由は跳ね馬陣営のあの体たらく…
( ゚д゚)




ま、そんなこんなで躊躇っておりましたけど
「前後の予定に惑わされないで観戦できるのなんて滅多に無いよな!」

ここ数年の鬱憤も晴らしたくて出発しました。

早朝、名古屋着。ココから

鈴鹿サーキット稲生駅へ
土曜日の鈴鹿は台風の影響もあって厚めの雲が上空でウネウネと動き回っていて荒天の匂いがプンプンです。



久々の鈴鹿サーキット。
金曜の練習走行だけ観に来たのは5年前、決勝迄観戦出来たのは7年前の話です。

そんな7年ぶりとなる観戦ポイントはコチラ!

今回、チケット料金に一部ディスカウントが実施されコチラはかなりお安くなったエリアのチケット。今年の集客はかなり力が入っているご様子。



それもその筈で、何でも鈴鹿開催30回目の記念レースなんだとか!

レース以外のところでもイベント目白押しとかで…


んなら
久々の鈴鹿を味わえるだけ味わってみっかーーー!
d( ̄  ̄)



と思った次第。


日本や海外のF1ドライバーOBによるトークショーや

日本グランプリに所縁のあるクラッシクF1カーのデモンストレーション走行…
土曜日は雨上りの路面で危険だったので出走台数少なめでしたけど

日曜日の決勝レース前は快晴!
マクラーレンMP4/6…故 アイルトン・セナ選手が駆ったホンダのV12エンジン搭載モデルに佐藤琢磨選手が乗り込んでホンダサウンドを聴かせて下さいました。


いつもだと観戦ウイークを通して名古屋までの電車の指定席を押さえておいて早々に名古屋へ移動するクマですが…

夜の鈴鹿も堪能!

全ての走行セッション後に行われる

ナイトピットウォークなるイベントに参加。

実況映像で見慣れては居ますけどこの距離感を体感してしまうと感動もひとしお!

ピット出口から翌日のレース展開に想いを馳せてみたりして…
(*´ー`*)


まぁ、とんでもなく残念な展開だったんですけどね
( ー ー)



そんな、残念な日曜のレース後は

西コースウォーク!

その昔、コースに沿って全ての客席を回ってみた事がありました、今回西側のエリアのみですけどコース上をゆっくりと歩く事が出来ました。

客席表示で言うとE席前のカーブから

取り敢えず路面にタッチ!

ココからコースの半分、約3キロちょっとの西コース。数々のドラマがあった場所を辿る様に歩いて行きます。

初めてF1を観戦した立体交差近くのスタンド。



この日のレースでセバスチャン・ベッテル選手がやらかしたヘアピンカーブ。



難易度高めのスプーンカーブ




西ストレートに




屈指の高速コーナー130R




ドラマが生まれるシケイン…と暗くなるのも忘れて踏破。

最終コーナーからメインストレートを眺めながら、久し振りの鈴鹿に別れを告げて帰路へ!



出かける前には「これが最後になるかも…」と思って居ました。それだけに2日続けて暗くなるまで堪能したものの、東京への道すがら「叶うならもう一度…」思ってしまった次第。




にわかティフォシには残念なレース展開もそっちのけで楽しい気分のまま帰ってこれました。
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